これが霞検事ですか‥‥吠えるよあたしゃ。
2006年 11月 08日
霞検事のドラマがあるというので、見たんですよ。
原作を読んだことはないので、私の頭の中の霞夕子という人物はこの2人のイメージで出来上がっています。その私から見ると、この、この霞検事は!!!!!
‥‥霞検事じゃないよ‥‥(-。-) ボソッ
日テレさん無茶せんでくださいよ、全く‥‥。
真矢みきさんはそれほど嫌いというわけではないので、今回もし、別のタイトルがこのドラマに付けられていたとしたら、もう少し穏やかな気持ちでいられたかもしれません。どこかフジテレビの番組みたいな、そんな印象を受けましたが、私だけかな。霞夕子の色はどこへ行ってしまったんだー!!重みがないんだ重みが!(いつになく興奮しております)
周りを固める人たちも、ちょっと軽いキャラクターが多くて、【霞夕子】の名を使うには相応しくなかったんじゃないかと。別に個別に見れば面白いです、光浦さんだって、清水さんだって、歌江さんだって、井上和香さんだって。ただ、なぜそこで【霞夕子】なんだと、どうしてこの名前を使わねばならんのかと、ついつい思ってしまう‥‥。そもそも、登場人物の設定をここまで変形させてしまうのならば、別の名前でよかったんんじゃないか? お母さんもいない‥‥旦那もいない‥‥そりゃないよ、日テレさん‥‥。
検事秋月真矢とか‥‥名前苗字そのまま流用だけど。(いや、今勝手に思い付いただけ。快活な印象から個人的に下が二文字のイメージ(笑))
さすがに宝塚で舞台をこなしてきただけあって、颯爽とした働く女の新しいキャラクターを演じるには充分な役者さんだと思うんですが、よく動くし口もよく動く。あまりに小器用な印象にちょっと参りました。何より、颯爽とし過ぎている‥‥。(個人的に二日酔いが似合わなかったと思う。二日酔いはやっぱい桃井さんだな)
霞夕子という人間の魅力は、その頭脳としぶとさ、そして人間としての不器用さみたいなものだったと思うので、ここまで快活に、颯爽と、よく喋る霞夕子は――もはや霞夕子ではないなぁと、やめて頂きたいなぁと‥‥切に願いますよ、私は。
鷲尾さんから床嶋さんへバトンタッチした時にも違和感を感じたけれど、あの時は相手が変わったことによって今までのレギュラー陣の演技の受け方が微妙に変わってしまったことへの違和感でした。何か大きな出来事があると、人が変わるなんてことを言いますが、まさにそんなことがドラマ上で起こっている。(いや、単に相手の芝居が変わったから受けても変わる――そういうことなんだろうと思うんですが)
だから、友行さんが友行さんであって友行さんじゃなくなってる。母も同じ。見ているこちらはその微妙な変化に戸惑ってしまう――シリーズものって難しい。
でも今回は違う。
「元々この家の持つイメージを大切にリフォームしましょう」などと言っておきながら、これでもかこれでもかと手を入れて、結局出来上がった時には元の面影などどっかへ飛んでいってしまっていた――そんな感じ。
「ドラマコンプレックス」に名前を変えた時、サスペンス枠に固定しないことであれもこれもを狙ったんだなとは思いましたが、結局それも上手くいかずにまた名前を変えた。で、結局昔の[火サス]時代の番組タイトルを使う――潔さが感じられない‥‥。
検事ものの代表格だった「霞夕子」という言葉を、単なる宣伝として使ったとしか思えないことにちょっと不快感を覚えますぞ、日テレさん。
これはこれで終わらせて、別タイトルでやる。名前をコロコロ変えられた日テレさんなら出来るはずだ!――と無責任に言ってみる。